山梨県における印章(はんこ)の歴史は、今から100年以上前までさかのぼります。

御岳山系にて水晶鉱が発見・発掘された事から始まり、1837年(天保8年)に甲府近郊の御岳に水晶加工工場が設立されました。

(御岳山系は昇仙峡エリア~山梨市牧丘町に連なる山です。鉱脈は現在封鎖されてます。)

以来、数多くの加工業や技術が誕生。水晶印材と同時に板木師の技術を加えて彫刻技術が発達し、ツゲや水牛などの印材も発達しました。

1854年(嘉永7年)には「甲府買物独案内」や「萬註文帳」などに、江戸時代より印章業が存在していたことが記されています。

1873年(明治6年)の大政官布告により、一般市民の間に急速な印章需要が起こったことから、山梨県の印章業はさらに勢いを増していきました。

 

当時は現在の様に個人宅の電話やインターネットの無い環境です。その為、販売方法は行商人が全国各地を巡るという地道な方法でした。契約を取っては山梨に戻って出来上がった物を持って再びお客様の元へ届けるという、現在では考えられない販売方法でした。

旧岩間村(現市川三郷町・六郷)では元々岩間足袋という産業が盛んでしたが、工業化が進み産業が衰退していました。

そこへ、明治の印章の急速な普及が始まり、岩間足袋で培った営業力、販売ルートを活かして行商人による販売が始まったとされてます。

こうして峡南地域の市川三郷町においては、現在に至るまで印章製造と印章関連産業が町の基幹産業となっております。

なお、伝統工芸品としては平成6年に山梨県の、平成12年に国の登録を受けたのが「甲州手彫り印章」です。 

 

現在では工業製品として100円ショップでも三文判が購入出来る時代となり、通販サイトでも機械彫りの早くて安価な印鑑が数多く出回っております。

いつの時代も、工業化が進むとそれまで培ってきた文化や伝統、技術は衰退してしまいます。

また、政治家による印鑑廃止発言もあり、廃業をする同業・関連業者も多く厳しい産業ではあります。

しかし、日本では印鑑文化が根強く、重要な契約や不動産取引、相続手続きなどまだまだ印鑑を必要とする場面は多々ございます。

そんな時代だからこそ伝統ある良い物を手にし、使って頂ければ幸いに感じます。