山梨の印象文化
その始まりと発展

Chapter 1

運命の出会い
水晶が開いた印章文化の扉

山梨県の印章(はんこ)の歴史は100年以上前に遡ります。
その始まりは、御岳山系での水晶鉱の発見でした。
1837年(天保8年)、甲府近郊の御岳に水晶加工工場が設立され、水晶彫刻の技術が発展。
やがて、その技術はツゲや水牛などの印材にも応用され、印章彫刻の精度も向上していきます。

職人たちの手によって、水晶加工から印章へとつながる新たな文化が生まれました。

Chapter 2

江戸の職人魂、明治の大変革
広がる印章の世界

江戸時代にはすでに、甲府では印章業が確立されていました。1854年(嘉永7年)の文献にも、印章職人の存在が記録されています。

そして明治時代に入ると、社会の変化とともに印鑑の需要が急増。1873年(明治6年)の「大政官布告」により、一般市民にも印鑑の使用が義務化され、印章業は大きく成長しました。

しかし、印章の普及を支えたのは、職人たちの技術だけではありません。
全国を駆け巡った「ある人々」の努力があったのです。

Chapter 3

全国行脚!「売る」だけじゃない、
行商人の情熱

明治時代の山梨では、今のように電話やインターネットが普及していませんでした。それでも、職人の手による印鑑は全国へと広がっていきます。その鍵を握ったのが、全国を巡る行商人たちでした。彼らは各地で注文を受け、山梨に戻って印鑑を仕上げ、再びお客様のもとへ届ける。
まさに「手間と情熱のこもった販売方法」です。
特に、旧岩間村(現市川三郷町・六郷)は、もともと「岩間足袋」の産地でしたが、工業化の影響で産業が衰退。しかし、足袋販売で培った営業力と販売ルートを活かし、印章販売の拠点として発展していきました。

職人が「作る」だけでなく、行商人が「届ける」ことで、印章文化は全国へと広がっていったのです。
では、その技は今も受け継がれているのでしょうか…?

Chapter 4

受け継がれる技 ―
甲州手彫り印章の誇り

印章文化が発展する中で、山梨の印章業はやがて地域の基幹産業となりました。
その伝統が評価され、平成6年には山梨県の、平成12年には国の伝統工芸品に認定されています。
職人たちは今もなお、一本のノミに想いを込め、一刀一刀を刻み続けています。
機械彫りが主流になった現代においても、手彫りの技術を守り続ける匠たちがいるのです。

しかし、時代の変化とともに、印章文化は大きな転機を迎えています…。

Chapter 5

未来へ ―
それでも、印章が消えない理由

今では、100円ショップや通販サイトでも簡単に印鑑が手に入る時代。
さらに近年では、「印鑑廃止」の議論も進み、印章業界は大きな課題に直面しています。

それでも、日本には今も印鑑文化が根強く残っています。 重要な契約、不動産取引、相続手続き――
人生の節目となる場面には、今もなお印鑑が使われているのです。

だからこそ、今あらためて「良いものを長く使う価値」が見直されています。
職人が刻む、唯一無二の印鑑。
そのぬくもりと確かな品質を、ぜひ手に取って感じてみてください。